はじめに

ローマ遺跡とは・・・

1.ローマ遺跡
 世界には数多くの種類の遺跡が残っている。その中でローマ遺跡とは、紀元前8世紀以降、地中海沿岸一帯を制したローマ帝国が遺した建築物を示す。建国当初、ローマ帝国はイタリア・ラティウム地方の名もない村にしか過ぎなかった。しかしながら、他の民族と同盟を結んだり、武力で征服し、イタリア半島全域を支配下におさめ、更には西地中海(カルタゴとの戦い)、東地中海、ガリア征服などにより一大帝国を築いていったのである。

 征服された地域は、敗軍の将と軍隊こそは鎖につながれはしたが、それ以外の住民の多くには恩恵がもたらされた。住民にはローマの階級制度に準じて地位が与えられ、街には石畳の道や美しいモザイクで飾られた歩道、水道、大理石づくりの議場、劇場、ローマの神々や地元の神々をまつる壮大な神殿などが造られたのだ。
 こうして、広大な地域に渡り、壮大なる建築物が造られていった。それらは、その優れた建築技術と、ヨーロッパの気候、自然災害の少なさなどにも救われ、現在も数多く遺っている。



2.ローマ遺跡に見られる建築様式
 ギリシア人は3つの様式(ドリス式、イオニア式、コリント式)を生んだ。そしてローマ人はこれらを引き継いだ。建築物を構成する柱にそれらを確認することができる。

名称
概要・備考
ドリス式おもにギリシア本土に見られる。その装飾は簡素で男性的
イオニア式イオニア地方(トルコのエーゲ海沿岸地方)に誕生し、ギリシア本土に逆輸入された。優雅で女性的とされる装飾
コリント式華麗で派手な装飾を持っているが、ギリシア人はこれをあまり用いず、ローマ人はこれを好んだ


3.その他
 その他、何かわからないことなどがありましたら、メールにて連絡ください。ローマ帝国及びローマ遺跡について理解しやすいよう、ホームページを修正・拡張していきます。


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おまけ1.ハドリアヌスとは・・・
ローマ史において最も繁栄した時代に在位についた皇帝の一人がハドリアヌスである。彼は学問好きで、領内のあらゆる民族や文化について知ろうと紀元121年にローマを出発、21年に及ぶ治世の大半をかけて帝国中を旅してまわった。

★ハドリアヌスの帝国視察(紀元121〜132)
@紀元121〜125年

 ローマ→121→ルグドゥヌム(リヨン)→122→ライン川上流からドナウ川上流→ライン川下流→ロンディニウム(ロンドン)→タッラコ(タッラゴーナ)→123→カディス→マウレタニア→アンティオキア→トラペズス(トラブゾン)→ニコメディア(イズミット)→124→エフェソス→ロドス→アテナイ(アテネ)→125→デュッラキウム(ドゥレース)→シラクサ→ローマ

A紀元128年
 ローマ→128→シラクサ→カルタゴ→ランバエシス→カルテンナ近郊(不明)→ローマ

B紀元128〜132年
 ローマ→128→アテナイ(アテネ)→129→エフェソス→アンティオキア→130→パルミュラ→ヒエロソリュマ(エルサレム)→アレクサンドリア→ルクソール→アレクサンドリア→131→エフェソス→アテナイ(アテネ)→132→ヒエロソリュマ(エルサレム)→133-134→ローマ



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