帰ってきました 投稿者:kenji
投稿日: 7月31日(水)19時26分38秒
バルト三国は涼しかった・・・。(ToT)
今回の国々はローマからは離れた土地でしたが、2つほどローマに関係する物を見つけてきました。
一つは、『琥珀の道』。琥珀で有名なニダという街の美術館の庭に、ローマ時代の琥珀の道が描かれた地図がありました。
http://isweb35.infoseek.co.jp/travel/hkmd/amber.jpg
もう一つは、ヴィリニュス(リトアニア)のラドヴィラの館の版画。PiranesiやLuigi Rossini、Jacques Le Basによるローマ遺跡の版画が保存されていました。ウェスタの神殿、ファウスティーナの神殿、オクタヴィア回廊、ネルウァのフォルムなど。また、ローマ時代を想像して描いた物なのか中世の物なのか、海戦が行われている闘技場の絵(カラー)もありました。結局誰の絵で何を書いた物かがわかりませんでした。
★P.M.さん
>ルードゥス・マグヌス
いつか見に行きたいなぁ。最後にローマを訪れてから('99)、コロッセオ周辺も
色々と変わっているんだろうなぁ。
★れいさん
>その後のコロッセオ
詳しく調べて頂き有り難うございます。ローマで見世物が行われなくなったあとは、やはり地方でも同じように全く見世物が行われなくなったのかなぁ。
>>出典は教科書(謎)っすか?
>そうです〜。それしかないです〜。
あぁ、よく噂に上がるバイブル。いつかローマに行った際は・・・。
>細切れ:剣闘士の歴史
前4世紀に行われた舞台は、フォルム・ロマヌムでしょうか?
細切れ:剣闘士の歴史 投稿者:れい
投稿日: 7月25日(木)19時18分02秒
剣闘士の歴史ですが…
記録上、紀元前4世紀頃までさかのぼれるそうです。
そしてローマでの剣闘士の試合は
kenjiさんもお書きの通り、「紀元前264年」、D・ユリウス・ブルトゥスなる
人物によって、亡き父のために開催されたのが最初。
このときはたった三組しか剣闘士の試合はなかったのですが、大変「好評」だったそうです。
そしてそのうち大人気となっていくわけでございますね。
その後のコロッセオ 投稿者:れい
投稿日: 7月24日(水)17時23分58秒
ぴぃさんへ
>獣狩りの見世物は6世紀半ばまで続いていました(523年に建物の修復されていたりもする。
資料をひっくり返したら、523年に開催されたのが最後らしいっす。
そう断言していない資料もあるが、「ショーの準備をしたという記録は523年以降ない」という表現の仕方です。
523年(?)の建物の修復は、ショーを開催するために小規模に行ったらしいっす。
その後のコロッセオは6世紀半ばから略奪の対象となり、6世紀〜11世紀にかけて
Frangipane一族により、城塞化されたトカ(でも8世紀になっても資材略奪対象にな
ってたりする)。
>出典は教科書(謎)っすか?
そうです〜。それしかないです〜。
それよりコロッセオからフォロロマーノ、カラカラ浴場までフォローする
ELECTA社出版の「per la soprintendenza archeologica di Roma」シリーズなる
赤本を買っていないの?あれなら英語版もあるし、結構詳しいっすよ。
私はこのシリーズの大半を買いそびれているけど、古代ローマ美術館のブック
ショップにこのシリーズはごろごろ置いてあるよ?
スリスリ情報 投稿者:P.M.
投稿日: 7月21日(日)22時00分26秒
■kenjiさん
> クリオの円形劇場
年まではわからないかもしれません。ただ彼が護民官になるのがBC50年ですから
BC51年の出来事かも。
> ポンペイ
碑文から明らかになっている年代ですのでかなり確証が高いと思われます。
> ルードゥス・マグヌス
おっほっほっほっほっ さすがお目が高い(^o^;)
ローマを訪れる日を選べば誰でも下に降りてスリスリ出来ます(*^o^*)
http://www.comune.roma.it/sovraintendenza/home.html
ではでは
久々 投稿者:セルシオ
投稿日: 7月17日(水)10時12分40秒
久々れすいれたなー。
コロッセオのことがいっぱい載ってる。
ラッキィー
もうすぐ夏休み。どっかいこうかなー。
とにかくみんなよろしく
少林サッカー 投稿者:kenji
投稿日: 7月16日(火)00時51分58秒
台風が近づいてます。明日は午前中会社休みかなぁ。
★みつまる☆さん
>琥珀
どんな琥珀を買ってきましたか?虫入りとかってありました?
★れいさん
>Anfiteatro Castrense
情報有り難うございます。どこかで写真を見たなぁと思っていたのですが、ここでしたね。内容を確認して、あとでホームページを更新します。
>排水
確かにどのようにしていたんでしょうね。エルジェムでも模擬海戦がされていたようですが、あそこの地下施設に配水設備があったような・・・。う〜ん、記憶が定かでない・・・。
★P.M.さん
>紀元前1世紀初頭
どこからこれを引っ張ってきたんだろう??。・・・とすると前50年頃というころとしょうか。ちなみにクリオって49年に亡くなっているんでしたっけ。
>ポンペイ
ポンペイの建造年はいつも、?と思ってしまうのですが、ここのはクリオが考え出す前に造られていたということなのでしょうか?とすると、クリオはこれを見て、円形劇場を考え出したとか・・・?
>猛獣狩りの見世物
これもおっしゃるとおりです。私のページのコロッセウムのところにも書いていますが、ホノリウスが禁止したのは剣闘士の試合(真剣試合)で、404年のテレマクスというキリスト教の修道士が剣闘士の間に割って殺し合いをとめようとしたのがきっかけでした。
>ルードゥス・マグヌス
コロッセオのところにあった写真ってルードゥス・マグヌスですよね。写真の視点が低くて、人がいっぱい見えますけど、今って完全に中に入れるようになったんです?
★Erio.T
お久しぶりです。写真がテレビで扱われるなんてすごいですね。Erio.Tさんのお名前も出るんですよね。
戯言などなど 投稿者:P.M.
投稿日: 7月15日(月)22時07分35秒
■kenjiさん
以下、円形劇場に関するコメントです。かなり舌足らずのところもありますが(^o^;)
> 紀元前1世紀初頭、カエサルの友人クリオによって、より多くの観衆を収容できるようにと、半円の劇場を背中合わせに合体させた円形劇
場が発明された。
元ネタはプリニウスの『博物誌』だと思うのですが、なんだか納得いきません(^o^;)
1.クリオが円形劇場での催しを行ったのは彼の父の葬儀ですから、紀元前53年以降のとこです。
従って『紀元前1世紀初頭』というのはないかなと。。。
> 現存する最も古いものは、ポンペイに残るそれで、紀元前70年頃の建造と考えられている。
紀元前80年というのが一般的のようです。(建設者はマルクス・ポルキウスとガイウス・クゥイントゥス・ウァルグスで
その建物は当時スペクタクーラ"spectacula"と呼ばれていました)
> しかしこうした競技は、キリスト教が浸透していくなかで非難されるようになり、ホノリウス(在位395-423)によって禁止され、幕を閉じ
ることなった。
禁止されたのは「剣闘士の試合」であって、猛獣狩りの見世物は6世紀半ばまで続いていました(523年に建物の修復されていたりもす
る。
記録上5×△年まで続いて行われていたという本があったと思うけど思い出せない(;_;))。
■みつまる☆さん
はじめましてだったでしょうか?
> 模擬海戦
以前、どこかの掲示板(ここだったかもしれない(^o^;))でご紹介しましたが
http://www.pbs.org/wgbh/nova/colosseum/qanda/
での説明はなかなか説得力があると思います。
■れいさん
> 88m×75.80mの大きさだったらしい…。
お゛っ?! 出典は教科書(謎)っすか?
> ローマ関連本は日本の家屋には重すぎて、押入れの床がぶち抜けそうです。
> しかも部屋に収まりきらないよ、どうしよう…。枕にするには堅すぎる…。
で、この本は今いずこにm(゚- ゚ )レイサマ
■Erio.Tさん
> ワタシのホムペのピアッツァ・アルメリーナの写真がTVで使われることになりました。
くっちょ〜ヽ(`⌒´メ)ノ オイラの写真をなぜ使わぬ、ぅっぅっぅっぅっ、、、って、
インターネット上で公開していただろうか?(^o^;)
昔の遺跡画像のページを間違って消してしまったし(;_;)
ではでは
お久しぶり 投稿者:Erio.T
投稿日: 7月15日(月)18時39分52秒
ワタシのホムペのピアッツァ・アルメリーナの写真がTVで使われることになりました。
たぶん一瞬でしょうけど。。。
18日深夜のフジテレビ「禁じられた遊び」というウンチク番組です。
遺跡の写真なら、こことか、法政のG先生とか、いくらでもありそうなのに
ワタシに依頼が来たのは何故か。。。
それはテーマが「ビキニ」で真面目なところには頼みにくい
いちばんいい加減そうな人に頼もうと。。。そんな感じか(笑)
http://www2u.biglobe.ne.jp/~e-tachi/
訂正(T0T) 投稿者:P.M.
投稿日: 7月15日(月)12時12分01秒
[誤]
http://photo.www.infoseek.co.jp/ISJ_Page.asp?m=7
なんじゃいこりぇは?(;_;)
[正]
http://photo.www.infoseek.co.jp/AlbumPage.asp?key=674440&un=109862&m=2&s=0
http://photo.www.infoseek.co.jp/AlbumPage.asp?key=674458&un=109862&m=2&s=0
ではでは
徹夜(-_ゞ ゴシゴシ 投稿者:P.M.
投稿日: 7月15日(月)06時59分13秒
バタン(_ _).。o○ ← 大うそ(^o^;)
http://photo.www.infoseek.co.jp/ISJ_Page.asp?m=7
円形劇場についてコメントいろいろありますが、
後日改めて・・・
ではでは
コロッセオに船?の事。 投稿者:みつまる☆
投稿日: 7月14日(日)23時26分02秒
旅行の話題に夢中になってて、ホームページを更新されたコロッセオ(アンフィテアトルム)についての感想を書き込み忘れてました。南イタリア各地に残る円形劇場の真中に立って、kenjiさんの報告どおりの凄い演目が提供されていた往時を偲んでいます。
昨年みたグラディエイタ−の影響かもしれませんが・・・。
模擬海戦?と言うのも、今回初めて読ませていただきましたが、その都度設営されるアリーナに水を張る作業、相当な水圧に耐える壁面工事が必要ですが、どうしたんでしょうね?おまけに、その上に船を浮かべたようですが、想像を絶してます。
Anfiteatro Castrenseを検索したら 投稿者:れい
投稿日: 7月14日(日)23時08分07秒
こんな感じ
http://www.ukans.edu/history/index/europe/ancient_rome/E/Gazetteer/Places/Europe /Italy/Lazio/Roma/Rome/walls/Aurelian/Amphitheatrum_Castrense/home.html
北イタリアかぁ… 投稿者:れい
投稿日: 7月14日(日)22時57分27秒
みつまる☆さんへ
コルティナダンペッツォに行かれるんですか〜。いいですね〜。
アルプスの爽やかな風〜険しい山脈〜青い湖〜。
ああわたしも暑さと縁を切りたい…。爽やかな風に吹かれたい…。
kenjiさんへ
アンフィテアトロ、ただいま吟味中でございまする。
個人的に模擬海戦ってどんな風にしたのか気になりまする…。
やれたとしてもとてつもない費用がかかるような。
排水はどうしたんだ〜。
>>Anfiteatro Castrense
私は訪れたことがないです。ぴぃさんならあるかもしれない。
一応アウレリアヌスの城壁に組み込まれた一部が残っているらしく、
写真を載せた本を持っておりますが、城壁が緩やかな曲線を描いている
ので、そこからアンフィテアトロがあったと推定される程度です。
88m×75.80mの大きさだったらしい…。
も少し調べてみます。
そうそう、琥珀! 投稿者:みつまる☆
投稿日: 7月11日(木)22時34分19秒
カウナス郊外?かな、琥珀の手作り工房に連れていかれて、琥珀買いました。古代のローマ人が取引していたとは知りませんでした。
現地工房の雰囲気に飲み込まれ、訳もなく『琥珀』をたくさん買ってきた苦い思い出があります。
よく吟味されてお買い求め下さい。
写真、楽しみにしています。
台風一過 投稿者:kenji
投稿日: 7月11日(木)22時24分04秒
★みつまる☆さん
バルト三国でもレンタカー借りられたんですね。行動力がありますねぇ。お話聞かせて頂いて有り難うございます。時代が流れた今のバルト三国を見てきて、帰ってきてからは感想をお知らせしたいと思います(写真は、私のもう一つのページJoy of travelの方をご覧ください)。
あと、古代ローマ人も取引をした『琥珀』をたくさん買ってきたいと思います。ちなみに、ハンガリーには『琥珀街道』と呼ばれるローマ時代の街道が残っています。
97年8月でした。 投稿者:みつまる☆
投稿日: 7月10日(水)11時10分42秒
写真と共に、当時の行程表を見ると、97年8月のポ−ランド・バルト二国訪問でした。バルトの小国は、なんだかザワザワした雰囲気と、それが落ちつきつっあるような時間が流れてました。
もう経済も世情も落ちついた、素晴らしい国になっていることでしょう。
SIAULIAの丘です。 投稿者:みつまる☆
投稿日: 7月10日(水)11時03分17秒
「ーーアウシュビッツと「命のビザ」の地を訪ねてーー」という旅行でしたが、リトアニアの現地労働組合との交歓行事に参加せず、行動を別にして、レンタカ−を借りてリトアニアの高速道路を飛ばして、クライペダ(KLAIPEDA)を目指しました。でもビザがいることが判って、SIAULIAに行き先を変更しました。
リトアニアの道路地図を辿れば、ビリヌスから8および4号線、A1・A12・A9号線でまたビリヌスに戻りました。
当時、田舎には未だ車が少なく、高速道路をボロ自動車が走っている光景や、農作業を終えた馬車が併走している写真等が残っています。
リトアニアのSIAULIAの郊外に十字架の丘が有ります。ここは、聖地という事で、庶民の願いが詰まっている雰囲気でした。その他の収容所・カナウス領事館跡等は、それなりに結構でした。
リーガ→シャウレイ→クライペダ→ニダ→ヴィリニュスは、ほぼ私が車で移動したコ−スとおなじです。楽しんできてください。
私の夏休みは、コルチナダンベッオイの避暑地を中心に、アルプスの冷風に当たります。
まだ、おうちです。 投稿者:kenji
投稿日: 7月 9日(火)21時57分06秒
早く国外に脱出したいです。最近、非常に蒸し暑いですよねぇ。
★みつまる☆さんへ
旅行は来週末からです。みつまる☆さんもバルト三国に行かれたことがあるんですね。その当時というと、まだラトヴィアヴィザが必要だった頃ですね。どこか、良いところがありましたか?
杉浦氏ゆかりの場所には魅力があるのですが、今回は、
ヘルシンキ→タリン→リーガ→シャウレイ→クライペダ→ニダ→ヴィリニュス
というコテコテのルートを旅してきます。一番の目的は、ニダで真っ白な砂丘をロシア国境まで歩くことです。
みつまる☆さんは次はイタリア北部ですか。どの辺りに行くんですか?
バルト三国にもう旅立たれましたか? 投稿者:みつまる☆
投稿日: 7月 8日(月)20時01分32秒
kenji様>
七月の旅行、フィンランド→エストニア→ラトヴィア→リトアニアに出発されましたか?
三年ほど前、「命のビザ」杉浦遅千畝領事の歩いた道・・・という労働組合系の団体旅行があって、このコ−スを回りました。バルト三国での悲しいお話を聞かせていただきました。
どちらを回られるのか、もう少し詳しく教えてください。
れい様>
久方振りに訪問しましたら、わたしのプ−リア州の旅に返事を書いていただいて、恐縮です。
日本に帰られたとのこと、毎日バタバタと明け暮れる、こちらのリズムに慣れられましたか?
私達夫婦は、この8/8から、同じくイタリアの北方面に行って来ます。
旅行のプランを考えて、予約のFAXをしていた、三ケ月ぐらい前が楽しさのピ−クでしたが。
もう、来月には出発です。先の楽しいこと目の前にして、仕事を頑張ってます。
久しぶりにホームページをアップしました 投稿者:kenji
投稿日: 7月 7日(日)23時12分30秒
★セルシオさんへ
コロッセオ(アンフィテアトルム)について、ホームページを更新しましたので、よかったら見てください。
http://www.h2.dion.ne.jp/~hkmd/htm/category/amphi.htm
★れい先生へ
アンフィテアトルム(円形劇場)について、こんな感じでよろしいでしょうか?何か間違っていることや補足事項等ありましたらお願いします。
>Anfiteatro Castrense
どんな程度のものだったんでしょねぇ。パラティーノのスタディウムと同じような感じで、市民には公開されていなかったんでしょうか。今度ローマに行くことがあったら見に行きたいなぁ。ちなみにれいさんは行かれたことがありますか?(前にも聞きましたっけ?)
コロッセオ=アンフィテアトロ=円形闘技場?? 投稿者:れい
投稿日: 7月 5日(金)19時02分32秒
セルジオさんへ
>コロッセオでも、何かいろいろあるみたいなので
???コロッセオはコロッセオですよ〜。一つしかないです。
円形闘技場と呼ばれている建物はたくさんありますが。
セルジオさんのお知りになりたいことはコロッセオでなくて
円形闘技場全般についてなのでしょうか?
ちなみにコロッセオは「ローマの近く」でなく「ローマのど真ん中」に
あるのですが…。
もしかしてOstia Anticaの遺跡のこととか、ローマにもう一つあった
Anfiteatro Castrenseのことをおっしゃっているのでしょうか。
もう7月かぁ 投稿者:kenji
投稿日: 7月 3日(水)00時06分05秒
★しずさんへ
申しわけありません。私の記憶力に問題があるため前回来て頂いたことを覚えておりません。こんなへっぽこ管理人ですが、私のページへ再び来て頂き、有り難うございます。
さて、「フォロロマーノ」ですが、私の素人的な知識によると、ローマの人々が昔から何かと集まった広場です。フォロとはフォルム(ラテン語:広場)のイタリア語で、そのままの意味です。みんなが集まる場所として必然的に生まれ、ここで商業や政などが行われていたのです。これが発展し、現在も残るクリアやバシリカ、神殿などが多く造られていったのです。但し後期には、その機能的な意味合いより個人の力を示すための意味合いが強くなったようですが・・・。
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