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AMPHITHEATRUM
(アンフィテアトルム:円形劇場)Ver.1.01
夕焼けのコロッセオ(ローマ)
【ローマ:コロッセオ(フラウィウスの円形劇場)】
収容人数5万人にも及ぶ巨大娯楽施設だった
 イタリア起源の楕円形型の劇場。代表的なものはローマのコロッセオ(ラテン語:コロッセウム)であり、これは当時、フラウィウス家の楕円形劇場と呼ばれていた。円形劇場は、催し物、特に剣闘士競技の場として使用され、この催しは無料で公開されていた。
 その構造は、それまでのギリシア劇場(半円)を2つ向かい合わせた楕円形型で、このためアンフィ(双)テアトルム(劇場)と呼ばれて区別される。
(注)アンフィテアトルムは一般に「円形闘技場」や「円形競技場」と訳されることが多いが、本ページではその意味合いより「円形劇場」とし、通常のテアトルムはギリシアのもの・ローマのものを区別せず、共に「劇場」と訳す。

円形劇場の歴史円形劇場についてローマの3つの円形劇場

円形劇場と剣闘士競技の歴史
 円形劇場で多く行われた剣闘士競技は、ローマにおいて紀元前264年からあったことは確実で(D・ユリウス・ブルトゥスが、亡き父のためにフォルム・ボアリウムで開催した)エトルリアを起源とし、本来葬儀の結びとして催されていた(剣闘士競技そのものの歴史は紀元前4世紀に遡る)。しかしながらローマに引き継がれた後は、その神聖な意義は次第に失われ、残酷さによって大衆の熱狂をあおよるような娯楽に堕していく。

 当初、剣闘士競技はフォルムで多く開催されていたが、紀元前1世紀、カエサルの友人クリオによって、より多くの観衆を収容できるようにと、半円の劇場を背中合わせに合体させた円形劇場が発明された。現存する最も古いものは、ポンペイに残るそれで、紀元前80年頃、マルクス・ポルキウスとガイウス・クゥイントゥス・ウァルグスにより建造された(当時この建物はスペクタクーラ"spectacula"と呼ばれていた)。首都ローマで最初に造られた円形劇場は、前29年アウグストゥスの親戚スタティリウス・タウルスによるものである。コロッセウムはそれから110年後に造られた。
 ローマ人が都市を建設する際、首都ローマを手本として、大通りや公共広場、カピトリウム、浴場、劇場などが造られたが、それらと同レベルの公共建造物として、円形劇場も造られていたと思われる。都市によっては、劇場が円形劇場に改装されることもあったというのだから、その重要度は劇場よりも上だったのかもしれない。

 共和政時代、剣闘士の試合は年に3〜4週間開かれる程度だったが、紀元2世紀頃になると何ヶ月も続くようになる。トラヤヌスの時代には、123日間連続で5000人の人間と、1万1000匹の動物を殺す冷酷な記録が打ち立てられた。それでも民衆は満足しなかったという。
 しかしこうした競技は、キリスト教が浸透していくなかで非難されるようになり、剣闘士競技はホノリウス(在位395-423)によって禁止され、また6世紀半ばには猛獣狩りの見世物も幕を閉じることなった。

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円形劇場と剣闘士競技について
◆円形劇場での興行
 庶民の娯楽であった興行(ムネラ)は、劇場や円形劇場で多く提供された。円形劇場では、剣闘士競技(ルディ・グラディアトリ)を始めとして、曲芸やアクロバット、手品なども行われていた。

 剣闘士競技では、剣闘士たちは二人一組で戦う。戦いが始まる前、剣闘士たちはロイヤル・ボックスの前まで来て、「死に赴かんとする我ら、皇帝にご挨拶つかまつる」と言うのがしきたりだった。そしてラッパの合図と共に戦いが始まり、戦いの最中も音楽が流されていた。
 戦いに敗れた剣闘士は左手の親指を上げて命乞いをすることができた。この生死の決定は皇帝や観衆に委ねられており、例え負けても素晴らしい戦いをしたものには、「助けてやれ、放してやれ」(ミッテ)と叫ばれ、命を助けられた。そしてそうでないものには、「喉をかき切ってしまえ」(ユグラ)と叫ばれ、皇帝が親指を下に向けると敗者はとどめを刺された。そして、カロン(三途の川の渡し守)の格好をした係員によって、円形劇場の外に運び出された。

 また、剣闘士同士の戦いだけではなく、猛獣狩り(ウェナティオーニス)模擬海戦も行われた。猛獣狩りでは、長い間食事も与えられず、暗闇におかれちていた猛獣が解き放たれる。餓えて怒りに満ちた猛獣の殺戮が見世物になるのである。牡牛やサイを使った闘牛や、動物同士の戦いもあった。また、まったく武装していない人間が狩りをすることもある。その場合、人間は当然、猛獣に八つ裂きにされて餌食になってしまうのだった。見世物のセットは手が込んでいて、連れてこられた動物が生息していたところの雰囲気がさまざまに再現されていた。
 模擬海戦では、アリーナに水を張り海に見立てて、その上に船を浮かべ、歴史上名高い海戦を再現した。

 ほかの見世物としては、ペットショーや小人が孤を追いかける猛獣狩りのパロディーから、曲芸やアクロバット、手品、神話や歴史の挿話や英雄伝説を扱った芝居などがあった。
◆剣闘士
 当初、剣闘士はプロだけであったが、カリグラの発案により、重罪人や奴隷、戦争捕虜などのアマチュアが加わるようになった。こういった剣の訓練を積んでいない者が加わることにより、その残酷度はいっそう増した。最後まで生き延びることができた奴隷は、自由の身になって引退することが許され、自由の象徴である木の剣を与えられた。
 しかしながら、この死と直面する危険な職業は高額な報酬を得られることより、自由民でありながらこの世界に身を投ずるものも少なくなかった。平均すれば1/3は職業として剣闘士を選んだ人々で占められていたのである。
 剣闘士にはさまざまなタイプがあって、それに合わせて武器が用意され、技術も専門化していた。その名は出身地や使用する武器や戦い方で付けられていた。

○魚闘士(ムルミロ)
 重装したムルミロの兜は、上に魚がかたどられており、ムルマと呼ばれていた。「魚」であるムルミロとそれを捕らえようとする「漁師」の網闘士とが組んで戦った。

○網闘士(レティアリウス)
 唯一身を守るものとして、肩の上まで覆う金属製の籠手を、利き腕とは反対の左手につけていた。そして武器として長い三叉の鉾と、相手を捕らえるための投げ網を持っていた。網闘士は一般にムルミロと対戦した。

○追撃闘士(セクトル)
 ひさしのついた兜をかぶり、盾と剣を持っていた。

○重装備闘士(オプロマクス)
 重い甲冑を付けて戦った。

○獣闘士(ベスティアリイ)
 猛獣と戦った。

○戦車闘士
 古代ブリタニア人の格好をして、戦車に乗って戦った。

○トラキア剣闘士(トラクス)
 新月刀と丸い小盾を持っていた。

○サムニウム剣闘士(サムニテス)

○プロウォカトル
◆円形劇場の設備・構造
 円形劇場の構造は、ギリシア劇場を2つ向かい合わせた構造と同様である。劇場にも見られるように、傾斜した地形を利用したものもあるが、多くはアーチや半円筒型の天井によって観客席が支えらていた。また、フランス北部やイギリスには、劇場に似た舞台壁を有する特殊な円形劇場も見られる。

 各観客席はそれぞれ所属する市民階級ごとに仕切られており、各階級は入退場時に決して顔を合わせることがないよう別々の入口・階段が設けられていた。初期の円形劇場ではそのような階段は外側に見られるが、その後の円形劇場では外壁のアーチが入口の役割を果たし、内部の階段へとつながっている。
 地下には舞台演出用の装置や、剣闘士や動物たちの待機所・通路が設けられており、その上に砂をまいた木の舞台(アレーナ)が置かれていた。また、最上席の外壁に設けられた突起により、観客席の上には陽射しや雨を遮る巨大な天幕(ヴェラリウム)が張られるなど、大がかりな設備を有する娯楽施設であった。

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ローマの3つの円形劇場
円形劇場名建造年
概要
長軸×短軸×高さ(m)収容人数
スタティリウス・タウルスの円形劇場 BC29 アウグストゥスの親戚スタティリウス・タウルスにより造られたローマで最初の恒常的円形劇場。64年の大火で焼失するが、ネロは僅か1年で、その跡地に木造の円形劇場を造った。現存していない。 ???×???×???1万人
フラウィウスの円形劇場(コロッセウム) AD80 ウェスパシアヌスによって着工され、息子のティトゥスによって完成した。当時、皇帝の家名をとってフラウィウスの円形劇場と呼ばれたがハドリアヌスによって近くに移されてきたネロの巨像(コロッスス)のため、コロッセウムの名で呼ばれるようになった。 188×156×505万人
カストゥレンセ円形劇場 3世紀頃?> セッソリウム付属の円形劇場で、後にアウレリアヌスの城壁に組み込まれる。現在、サンタ・クローチェ・イン・ジェルザレンメ教会の右手に一部発掘されている。内部は畑と化している。 88×75.8×??????

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