ローマの10の浴場 |
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浴場名 | 建造年 | 概要 | 面積(m2) | 収容人数 |
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アグリッパ浴場
| BC25 |
アグリッパにより新市街カンポ・マルツィオに建設されたローマ最初の公衆浴場。このためにアグリッパは水道を引き、隣の人工池(スタグヌム)にも給水し、運河(エウリプス)によって余剰水をテヴェレ川に流した。3種の浴室(熱浴室、温浴室、冷浴室)、発汗室などの基本的な設備に加え、プールや美しい庭園、体育場、読書室やチェス室まで備えていた。浴場内は、ギリシア人の芸術家達を動員しての、美しい壁画や彫像で飾られた。80年,110年に火災の被害にあい、パンテオンと共にハドリアヌス帝によって再建されている(80年の火災の後、修復されているかもしれない)。更に、344〜355年には、コンスタンス帝とコンスタンティウス2世により修復された。
| 敷地:約1.1万 (80〜100m×120m) 修復後 | ??? |
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ネロ浴場
| AD62頃 |
同じくカンポ・マルツィオに造られた。浴室や各施設の配置が整然とした左右対称であり、以後すべての浴場の手本となる。227年にセウェルス・アレクサンデルにより修復されている。
| 建物:約2.3万 (190m×120m) (修復後) | ??? |
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ティトゥス浴場
| AD80頃 |
ネロ浴場の左右対称の設計に準じて、オッピオ丘に建造された小規模な浴場 | ??? | ??? |
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トラヤヌス浴場
| AD104頃〜109 |
トラヤヌス帝の時代に大活躍したダマスクス生まれの建築家アポロドロスの設計によるもので、オッピオ丘に建造された。中央に浴室棟を配し、ギリシア語とラテン語の図書館や談話室などの教養施設を備え、庭園を持ち、カラカラ浴場の前身ともいえるものであった。
| 敷地:約10万 (330m×315m)
建物:約4万 (212m×190m) | ??? |
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スラ浴場
| AD??? | トラヤヌス帝の記念柱ではトラヤヌスの右に位置するスラが、アヴェンティーノの丘に建造した。
410年に起こった西ゴート王アラリックのローマ略奪の後、414年に修復された。
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カラカラ浴場
| AD212〜217 |
浴場は高さ6mの台座の上に造られていて、その下には薪置き場や業務室が設置され、2台の荷車がすれちがうことのできる地下通路が張り巡らされていた。そして、ここでは1万人の従業員が働いていたという。浴場の各部屋は左右対称に配置されたが、性別によって分けられてはおらず混浴だった。浴場の裏手には、階段式の観客席がついた競技場をはじめ、大プール、庭園や散歩道などが設けられていた。537年に東ゴート族王ヴィティギスが街の全水道を断つまで使用された。プールにあった四つの大きな柱の一つは、1563年、フィレンツェのサンタ・トリニタ広場に運ばれた。現在、「正義の柱」と呼ばれている。 | 敷地:約11万 (337m×333m)
建物:約2.5万 (220m×114m) | 1600人 |
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デキウス浴場
| AD252 | デキウス帝により、アヴェンティーノの丘、ディアナ神殿の南西に浴場の建設が計画される。完成は帝の死後となる。コンスタンス帝とコンスタンティウス2世により修復されている。また、410年に起こった西ゴート王アラリックのローマ略奪の後、414年にも修復されている。現在、アプスのある部屋が遺っている(70m×35m)。
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ディオクレティアヌス浴場
| AD298〜306(9?) |
ディオクレティアヌス帝の命により造られた帝国最大級の浴場。内部は大広間を中心に、周囲に3種の浴室、運動室、更衣室を備えた。浴場建設の際には、4万人にも及ぶキリスト教徒が強制的に働かされた。
| 敷地:約14万 (370m×380m)
建物:4.5万 (250m×180m) | 3000人 |
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コンスタンティヌス浴場
| AD??? |
クィリナーレの丘に建造された。現在、跡地にはロスピリョージ・パッラヴィチーニ宮が建っている。
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ヘレナ浴場
| AD??? | クラウディア水道を利用していた。セプティミウス・セウェルス帝時代の建造で、火事により焼失している。修復の際、コンスタンティヌス帝の母ヘレナが関わっていたようで、この名がある。16世紀までは、ある程度は残っていたらしいが、教皇シクストゥス5世が、Via Carlo Feliceをつくるために埋めてしまった。今は貯水槽が残るのみである。マッジョーレ門南。
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