街道の構成 |
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| 街道 | 街道は2車線の車道とその両側に歩道、排水溝、ベンチ、マイルストーンなどから構成されていた。 |
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車道 | 車道は幅4〜4.2mで、地表から1〜1.5mの深さまで掘り下げて、3〜4層から造られていた。現代の日本の標準的な高速道路でも1.4m、県道クラスの一般道になるとわずか15cmの厚さでしかないというから、ローマの街道が如何に手がこんだものかが伺える。幹線には舗装が施されており、支線は砂が敷かれていた。 |
| | @スタトゥメン (statumen):最下層 | 大きな石と砂や土から構成される。 |
Aルドゥス (rudus):第2層 | モルタルで固められた小石からなる。密度が高い状態を得るため大槌で打ち固められた。 |
Bヌクレウス (nucleus):第3層 | 自然にできた石の塊ではなく、人為的に砕いた小ぶりの石塊や砂利を、中央部を盛り上げて雨水が両側に流れ落ちるように詰め込まれた。 |
Cパウィメントゥム (pavimentum):最上層 | 最も重要な幹線の場合、最上層に舗装された路面が加えられた。接面が合うように切った大石を隙間なく敷き詰めていく。急な坂では敷石に溝を刻んで、馬もサンダル履きの人間も足を滑らせずに歩くことができた。 |
| D排水溝 | 水が道の外側に浸み出すように、ところどころに穴が開いていた。 |
歩道 | |
| | E歩道 | 幅は平均して3m前後。都市の近くや交差点のように交通量の多い地点では5mにおよび、交通量の少ないところでも1mは確保されていた。これは、軍隊とは違って車道を堂々と歩けない歩行者のための歩道であることはもちろんのこと、地下にのびてくる根が、街道を浸食するのを防ぐための対策でもあった。歩道は橋などにも設けられていたが、山岳地帯やトンネルの内部など空間的に困難な箇所では設けられていなかった。
森の中を通る街道となると、歩道の更に外側に、安全地帯として樹木を切り倒して確保される。森の奥から襲ってくるやもしれぬ、敵や盗賊対策のためである。 |
その他 | |
| | F切石のベンチ
| 旅行者の休憩用としてところどころに置かれていた。また、馬や馬車に乗るときの踏み台としても用いられた。 |
| Gマイルストーン | ガイウス・グラックスが立案した法によって、街道に設置されることが定められた道標。高さは2m弱程度、直径は30cmの石で作られていた。1ローマ・マイル(約1.49km)ごとに番号をふり、次の街への距離や、街道をつくった建設部隊名・建設資金を寄付した人物の名などが記されていた。 |
イタリアの22の街道 |
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街道名 | 建造年 | 区間 | 概要 | 距離 | その他 |
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サラーリア街道 | BC312以前 | ローマ〜ポルトピチェーノ | 塩の道の意味。テヴェレ河口の北にある塩田と、塩のないサビーニ人の国とを結んだ街道。後にトラヤヌスによって改修された。
| ??? | 現在の国道4号線 |
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ラティーナ街道 | BC312以前 | ローマ〜カプア | ラティウム地方への道の意味。ドミティアヌスはこの全線修復をしている。 | ??? | 現在の国道6号線 |
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ノメンターナ街道 | BC??? | ローマ〜ノメントゥム? | ノメントゥムへの道の意味 | ??? | |
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アッピア街道 | BC312〜 | ローマ〜ブリンディシ | 執政官アッピウス・クラウディウスによって敷かれたローマで初めての舗装道路。前312年、まずはテラチーナまで、続いてカプアまでの200kmの道のりをわずか1年で造りあげた。更には、ベネヴェントへ延長され、その後、サムニウム族がローマの軍門に下った後(前290年)、前285年、ヴェヌージアまで造られた。そしてブリンディシまでつながると、ローマの生命線となった。ローマ人はアッピア街道を、「街道の女王」(regina viarum)と呼んでいた。ネルウァ、トラヤヌス(テラチーナの崖を削り取ったことで有名)などが修復している。
| 約580km | 現在の国道7号線 |
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ミヌーチア街道 | BC225〜 | ベネヴェント〜カノーザ〜ブリンディシ | ミヌチウスという家紋名を持つ執政官が立案したのだろう。300年後にトライアヌス帝が全面改造して以後は「アッピア・トライアーナ街道」の名に変わる。 | ??? | |
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アッピア・トライアーナ街道 | AD107〜112 | ベネヴェント〜カノーザ〜ブリンディシ | 共和政期から既に利用されていた道(ミヌーチア街道)ではあるが、トラヤヌスは、それを石畳で舗装し、駅停と里程標を設置して、街道管理事務所を設けた。 | ??? | |
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ティヴティーナ街道 | BC312以前 | ローマ〜ティヴォリ | ティヴォリ(ティブル)への道の意味。ティヴォリでヴァレーリア街道につながる。 | ??? | 現在の国道5号線 |
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ヴァレーリア街道 | BC307〜 | ティヴォリ〜ペスカラ | ティヴルティーナ街道のティヴォリにつながる。当時のローマの名門貴族だったヴァレリウス一門出身の執政官によるものであろう | ??? | 現在の国道5号線 |
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ヴァレーリア街道 | BC???〜 | メッシーナ〜パレルモ | 第一次ポエニ戦役後。執政官ヴァレリウスによって成された。 | ??? | |
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ドミティアーナ街道 | BC??? | シヌエッサ?〜ポッツォーリ〜ナポリ | ドミティアヌスにより敷設。陸路をとってミセーノに向かうのにも、これで一段と容易になった。丸一日かかった旅程が、2時間ですむようになったという記録が残っている。 | ??? | |
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クローディア街道 | BC278〜 | ローマ〜サトゥルニア | カッシア街道が敷設されるやその支線に組み入れられていく | ??? | |
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カエキリア街道 | BC??? | ラクイラ?〜ジュリアノーヴァ | | ??? | |
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アウレリア街道 | BC241〜 | ローマ〜ジェノヴァ | アウレリウスにより敷設。ローマからアンセドニア(コーサ)までは旧アウレリア、アンセドニアからピサまでは新アウレリア街道であったが、帝政期に入ってからは、エミーリア・スカウリ街道を含み、アウレリア街道の名で一本化された。ティトゥスにより80年に一部修復されている | ??? | 現代の国道1号線 |
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フラミニア街道 | BC220前後 | ローマ〜リミニ | フラミニウスにより敷設。アウグストゥスが全面改修している。ボーニアからアレティウム(アレッツォ)への支線は前187年に完成している。山地だけに渓流が多く、増水時を考慮して街道は山腹を縫って走ている。 | 約315km | 現イタリアの国道3号線 |
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エミーリア街道 | BC187〜 | リミニ〜ピアチェンツァ | トラヤヌスによって改修されている | ??? | 現在の国道9号線 |
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カッシア街道 | BC154〜 | ローマ〜フィレンツェ | トラヤヌスによって改修されている | ??? | 現代の国道2号線 |
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アントニア街道 | BC??? | フィレンツェ〜アクィレイア? | | ??? | |
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ポストゥーミア街道 | BC148〜 | ピアチェンツァ?〜アクィレイア | | ??? | 現在の国道10号線 |
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ポピーリア街道 | BC132〜 | リミニ〜アルティヌム | | ??? | |
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アンニア街道 | BC131〜 | カプア〜レッジョ・カラーブリア | 概要 | 約500km | |
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エミーリア・スカウリ街道 | BC??? | ジェノヴァ〜ピサ | 帝政期に入ってからはアウレリア街道の名で一本化された | ??? | |
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オスティア街道 | BC312以前 | ローマ〜オスティア | | ??? | 現在の国道8号線 |