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VIA(ヴィア:街道)Ver.0.01
ローマ:アッピア街道
【ローマ:アッピア街道】
全てはここからはじまった・・・
 ローマが築いた偉大な物の一つとして街道があげられる。人がただ踏み固めただけの道ではなく、人の手によって舗装された街道である。その素晴らしさは、1世紀はメンテナンスが不要と豪語された構造のためだけではない。ただ舗装されただけの街道ならば、既に前5世紀のペルシア帝国に、歴史家ヘロドトスを驚嘆させた街道があったからだ。それではなぜローマの街道が名を遺したのか・・・。それは街道の必要性・重要性を知っていたローマ人により、効率的に張り巡らされたからではないだろうか・・・。
 そして街道は街道としての機能を十分に発揮できるよう配慮されていた。平野でも平らにならし、目の前の崖は切り開き、湿地帯では無数の木の杭を打ち込んだ上に土手を築き、街道はその上を走るようにつくられていた。また、川であろうと渓谷であろうと、降りてまた上がらずにすむよう、道と同じ高さに橋を架けるのだ。

街道の歴史街道について 街道の構成イタリアの22の街道

街道の歴史
 ローマには前8世紀前半の建国当初から道はあった。ヴィア・サラーリア(塩の道)やヴィア・ラティーナ(ラティーナ地方への道)は古くからある道の1つである。しかしそれまでの道とは性質が大きく異なる街道が、アッピウス・クラウディウスによって前312年造られた。アッピア街道である。それまで行商用として利用されてきた道は、政治・軍事・行政上の街道となったのだ。その後、フラミニア街道、カッシア街道、アウレリア街道と、ローマの勢力圏が四方八方に拡大されていくにつれて、ローマとそれらの地方の戦略要所をつなぐ、街道網が広がっていった。
 現在、古代ローマの街道は、風化や現代の自動車の重さと交通量により激しく痛んでいる。このため街道は歩きづらく車では振動が激しく乗り心地は最悪だろう。しかし、かつて維持が行き届いていた頃は、現代の高速道路にも似た快適なものであったのだ。

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街道について
 街道の長さは幹線(375本以上)だけで85,000km、支線まで加えれば150,000kmに至ったという。アメリカのハイウェイは88,000kmを超えるが、面積がローマ帝国は720万km2、アメリカ合衆国は936km2であることを考えると、ローマがいかに街道を重要視していたかがわかる。
 そして、街道はやむを得ない場合を除いて常に真っ直ぐに造られた。現在もローマとカプアにほぼ一直線に延びる約200kmの街道を見ることができる(かつてのアッピア街道の上に造られた現国道7号線)。直線性は、軍用道路であるから目的地までの最短距離が求められたのだ。また、通常の旅行者が使用する4輪の馬車は車軸を左右に回転させるステアリング軸を持っておらず、小回りが苦手だったことも理由かもしれない。
 街道は2車線で、片側を通行するという決まりがあった。街中には、左折禁止の交差点があったことより、右側通行だったのではないだろうか。他、一方通行の標識もあった。

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街道の構成
街道の構成
街道街道は2車線の車道とその両側に歩道、排水溝、ベンチ、マイルストーンなどから構成されていた。
  車道車道は幅4〜4.2mで、地表から1〜1.5mの深さまで掘り下げて、3〜4層から造られていた。現代の日本の標準的な高速道路でも1.4m、県道クラスの一般道になるとわずか15cmの厚さでしかないというから、ローマの街道が如何に手がこんだものかが伺える。幹線には舗装が施されており、支線は砂が敷かれていた。
 @スタトゥメン
(statumen):最下層
大きな石と砂や土から構成される。
Aルドゥス
(rudus):第2層
モルタルで固められた小石からなる。密度が高い状態を得るため大槌で打ち固められた。
Bヌクレウス
(nucleus):第3層
自然にできた石の塊ではなく、人為的に砕いた小ぶりの石塊や砂利を、中央部を盛り上げて雨水が両側に流れ落ちるように詰め込まれた。
Cパウィメントゥム
(pavimentum):最上層
最も重要な幹線の場合、最上層に舗装された路面が加えられた。接面が合うように切った大石を隙間なく敷き詰めていく。急な坂では敷石に溝を刻んで、馬もサンダル履きの人間も足を滑らせずに歩くことができた。
D排水溝水が道の外側に浸み出すように、ところどころに穴が開いていた。
歩道 
 E歩道 幅は平均して3m前後。都市の近くや交差点のように交通量の多い地点では5mにおよび、交通量の少ないところでも1mは確保されていた。これは、軍隊とは違って車道を堂々と歩けない歩行者のための歩道であることはもちろんのこと、地下にのびてくる根が、街道を浸食するのを防ぐための対策でもあった。歩道は橋などにも設けられていたが、山岳地帯やトンネルの内部など空間的に困難な箇所では設けられていなかった。
 森の中を通る街道となると、歩道の更に外側に、安全地帯として樹木を切り倒して確保される。森の奥から襲ってくるやもしれぬ、敵や盗賊対策のためである。
その他 
 F切石のベンチ 旅行者の休憩用としてところどころに置かれていた。また、馬や馬車に乗るときの踏み台としても用いられた。
Gマイルストーンガイウス・グラックスが立案した法によって、街道に設置されることが定められた道標。高さは2m弱程度、直径は30cmの石で作られていた。1ローマ・マイル(約1.49km)ごとに番号をふり、次の街への距離や、街道をつくった建設部隊名・建設資金を寄付した人物の名などが記されていた。

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イタリアの22の街道
街道名建造年区間
概要
距離その他
サラーリア街道BC312以前ローマ〜ポルトピチェーノ塩の道の意味。テヴェレ河口の北にある塩田と、塩のないサビーニ人の国とを結んだ街道。後にトラヤヌスによって改修された。 ???現在の国道4号線
ラティーナ街道BC312以前ローマ〜カプアラティウム地方への道の意味。ドミティアヌスはこの全線修復をしている。???現在の国道6号線
ノメンターナ街道BC???ローマ〜ノメントゥム?ノメントゥムへの道の意味??? 
アッピア街道BC312〜ローマ〜ブリンディシ執政官アッピウス・クラウディウスによって敷かれたローマで初めての舗装道路。前312年、まずはテラチーナまで、続いてカプアまでの200kmの道のりをわずか1年で造りあげた。更には、ベネヴェントへ延長され、その後、サムニウム族がローマの軍門に下った後(前290年)、前285年、ヴェヌージアまで造られた。そしてブリンディシまでつながると、ローマの生命線となった。ローマ人はアッピア街道を、「街道の女王」(regina viarum)と呼んでいた。ネルウァ、トラヤヌス(テラチーナの崖を削り取ったことで有名)などが修復している。 約580km現在の国道7号線
ミヌーチア街道BC225〜ベネヴェント〜カノーザ〜ブリンディシミヌチウスという家紋名を持つ執政官が立案したのだろう。300年後にトライアヌス帝が全面改造して以後は「アッピア・トライアーナ街道」の名に変わる。??? 
アッピア・トライアーナ街道AD107〜112ベネヴェント〜カノーザ〜ブリンディシ共和政期から既に利用されていた道(ミヌーチア街道)ではあるが、トラヤヌスは、それを石畳で舗装し、駅停と里程標を設置して、街道管理事務所を設けた。??? 
ティヴティーナ街道BC312以前ローマ〜ティヴォリティヴォリ(ティブル)への道の意味。ティヴォリでヴァレーリア街道につながる。???現在の国道5号線
ヴァレーリア街道BC307〜ティヴォリ〜ペスカラティヴルティーナ街道のティヴォリにつながる。当時のローマの名門貴族だったヴァレリウス一門出身の執政官によるものであろう???現在の国道5号線
ヴァレーリア街道BC???〜メッシーナ〜パレルモ第一次ポエニ戦役後。執政官ヴァレリウスによって成された。??? 
ドミティアーナ街道BC???シヌエッサ?〜ポッツォーリ〜ナポリドミティアヌスにより敷設。陸路をとってミセーノに向かうのにも、これで一段と容易になった。丸一日かかった旅程が、2時間ですむようになったという記録が残っている。??? 
クローディア街道BC278〜ローマ〜サトゥルニアカッシア街道が敷設されるやその支線に組み入れられていく??? 
カエキリア街道BC???ラクイラ?〜ジュリアノーヴァ ??? 
アウレリア街道BC241〜ローマ〜ジェノヴァアウレリウスにより敷設。ローマからアンセドニア(コーサ)までは旧アウレリア、アンセドニアからピサまでは新アウレリア街道であったが、帝政期に入ってからは、エミーリア・スカウリ街道を含み、アウレリア街道の名で一本化された。ティトゥスにより80年に一部修復されている???現代の国道1号線
フラミニア街道BC220前後ローマ〜リミニフラミニウスにより敷設。アウグストゥスが全面改修している。ボーニアからアレティウム(アレッツォ)への支線は前187年に完成している。山地だけに渓流が多く、増水時を考慮して街道は山腹を縫って走ている。約315km現イタリアの国道3号線
エミーリア街道BC187〜リミニ〜ピアチェンツァトラヤヌスによって改修されている???現在の国道9号線
カッシア街道BC154〜ローマ〜フィレンツェトラヤヌスによって改修されている???現代の国道2号線
アントニア街道BC???フィレンツェ〜アクィレイア? ??? 
ポストゥーミア街道BC148〜ピアチェンツァ?〜アクィレイア ???現在の国道10号線
ポピーリア街道BC132〜リミニ〜アルティヌム ??? 
アンニア街道BC131〜カプア〜レッジョ・カラーブリア概要約500km 
エミーリア・スカウリ街道BC???ジェノヴァ〜ピサ帝政期に入ってからはアウレリア街道の名で一本化された??? 
オスティア街道BC312以前ローマ〜オスティア ???現在の国道8号線
(注)街道の最後のアは、ラテン語のウィア(街道)が女性名詞のため。
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