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●カラカラ浴場
◆説明
 212年着工、217年に開場したが、工事はその後も20年間ほど続いた。周囲の庭園及び建造物、周壁(235年)はエラガバルス及びセウェルス・アレクサンデル時代に造られたものである。正式名称はアントニヌス浴場といったが、一般にはカラカラ浴場の名で親しまれている。1万人の従業員が働き、一度に1600人、1日で5000人が入浴できる巨大な浴場施設であった。中央浴場施設の面積は216m×112m(220m×114m)、外側庭園及び建造物の面積は353m×335m(幅337m、奥行き328m)であった。この広大な敷地は、かつては貴族の別荘があったところで、1階部分をそのまま取り込み人工基盤とした。すなわちこれにより全体が6m以上嵩上げされたのである。そして、この地下に、湯を沸かすための巨大な炉や貯湯タンク、各浴室に熱気を送るトンネルや給湯管が設置された。
 浴場施設の内部は、中央に3つの温度の違う浴槽と大きなホールが配置され、その両脇には体育場や発汗室などが更衣室と共に左右対称に配置されていた。床や壁は大理石やモザイクなどで覆われて、ヘラクレス像(高さ3m以上)や牡牛の群像、フローラ像などが飾られていた(現在は一部に床のモザイクが残るのみである。彫刻の一部はナポリの国立博物館に展示されている)。施設は庭園に囲まれ、集会や講義のための広間やギリシア語とラテン語の図書館、スタジアムなどが並び、商店もあった。浴場施設は、537年に東ゴート族王ヴィティギスが街の全水道を断つまで使用された。

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●ラティーナ門
◆説明
 半円形の二つの塔のある城門の設計はアウレリアヌスの城壁の初期のもので、城門の窓のあるアーチ部分はホノリウスの時代に属する。

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●スキピオ家の墓
◆説明
 前298年〜前139年の間、スキピオ一族の主だった人物はここに葬られていた。現在の入口はアッピア街道に面しているが、かつては北西に向いていた。建設者ルキウス・コルネリウス・スキピオ・バルバトゥスの土葬用石棺のオリジナルはヴァティカンのピオ・クレメンティーノ博物館入口左手に置かれている。

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●ポンポニウス・ヒラスの納骨堂
◆説明
 スキピオの墓の近くのデリ・シピオーニ公園内にある。ポンポニウス・ヒュラスはフラウィウス朝時代の解放奴隷。夫妻の骨壺棚は地下に降りる階段の上にあって多色モザイクで飾られ、下の階には、ティベリウスの下僕らの骨壺棚が並んでいる。なかには美しい彩色画と三角破風をもつ豪華なものもある。

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●ドルススの凱旋門
◆説明
 ティベリウスの弟ドルススに捧げられた凱旋門と間違って伝えられていたが、アントニアナ水道がアッピア街道をまたいでいたところに211〜216年造られた橋脚である。

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●アントニアナ水道
◆説明
 212年カラカラは、浴場施設に水を供給するためにマルキア水道をローマ市に入る少し手前から分岐させ、アントニアナ水道を建設した。

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●アッピア門
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◆説明
 ローマと植民都市を結ぶために執政官アッピウス・クラウディウスによって敷かれたローマで初めての本格的な舗装道路。前312年、カプアまでの200kmの道のりがわずか1年で造りあげられ、更にトラヤヌスの時代にブリンディシまで延長され、総延長580kmのローマの生命線となった。敷石の下には3層の基礎が築かれ、道路の中央部を盛り上げて雨水が両側に流れ落ちるよう工夫されていた。また、起点からの距離がわかるように1マイル(1478m)ごとにマイルストーンが置かれていた。

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●アッピア街道
◆説明
 ローマと植民都市を結ぶために執政官アッピウス・クラウディウスによって敷かれたローマで初めての本格的な舗装道路。前312年、カプアまでの200kmの道のりがわずか1年で造りあげられ、更にトラヤヌスの時代にブリンディシまで延長され、総延長580kmのローマの生命線となった。敷石の下には3層の基礎が築かれ、道路の中央部を盛り上げて雨水が両側に流れ落ちるよう工夫されていた。また、起点からの距離がわかるように1マイル(1478m)ごとにマイルストーンが置かれていた。

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●アウグストゥスの解放奴隷のコルンバリウム
◆説明
 アウグストゥスの解放奴隷の共同墓地。コルンバリウムは直訳すると「鳩の巣」で、骨壺を並べて置く棚のことである。この壁面には1000個にものぼる壁がんが設けられていた。現在、遺構はレストランHostaria Antica Romaの中庭で見ることができる。

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●ロムルスの廟
◆説明
 309年9歳でテヴェレ川で溺死したロムルスのために、マクセンティウスが建てた墓廟。後には一族がここに葬られた。直径33mの円形の墓室と矩形の前室からなり、周囲には柱廊の壁が設けられた。

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●皇帝の離宮
◆説明
 マクセンティウスは息子の死を悼み、その墓廟の近くに住もうと北側に離宮を造った。離宮はヘロデス・アッティクスの屋敷だったものである。

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●マクセンティウスの競技場
競技場入り口付近から眺める

反対側からの眺め

この周囲を戦車がまわった?
◆説明
 マクセンティウス帝は、若くして死んだ息子ロムルスの廟をこの地につくり、自らもそばで暮らそうと、離宮(非公開)と付属の競技場を建てた。長さ520m、幅92mの競技場には1万人収容可能であったと推定される。出走地点には12の出走ゲート跡があり、その両脇にはラッパ塔が残っている(写真上)。しかしながら、グラウンドに敷かれる砂が見られないことから、マクセンティウス帝の死(312年コンスタンティヌス帝との争いにより敗れた)で工事が中断し、一度も使用されなかったのではないかと考えられている。

▼Kenjiの訪問記▼
 ロムルスの廟を横目にしながら競技場へと進んだ。目の前には大きなラッパ塔がそびえている。胸が高鳴っていくのを感じた。そして、それの脇を抜けると、目の前一面が一気にひらけた。その大きさは、私の想像を十分に超えていたようだ。
 ここへ来る観光客がもともと少ないのか、朝早いためなのかはわからないが、他には誰一人といなかった。競技場の中央にある土が盛り上がった部分へ進むと、一人そこへ腰をおろし、靴を脱いだ。大きく息を吸い込み、この空間を身体で感じた。そして、アッピア街道を歩き続けてきた疲れをとると、再び先へと進むことにした。
◆交通
 アッピア街道(地下鉄A線サンジョヴァンニ駅の北西、教会の裏、オベリスクのある広場から橙のバス(218番)でサン・カリストのカタコンベ下車)から、更に南に20分ぐらい下る。('99)

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●チェチリア・メテッラの墓
r1213.gif r1213.jpg ◆説明
 第一次三頭政治で知られる富豪クラッススの息子、ルキニウス・クラッススが、妻カエキリア(チェチリア)のために建てた墓。方形の基部の上に、トラヴァーチンで外装された直径20mの円筒の墓が設けられた。上部には牛頭模様と花綱装飾の浮彫が施されている。欠けた王冠のような狭間は、要塞として使用するために14世紀に付け加えられたものである。アッピア街道に面した外壁には彼女の名が刻まれているのを確認することができる。

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●アッピア街道沿いの墓碑区域
英雄のレリーフ シクストゥス・ポンペイウス一族の墓 h6.jpg
h2.jpg h3.jpg クリアーティ兄弟の墳丘
h7.jpg ホラティウス兄弟の墳丘
◆説明
 ローマ時代、郊外の街道沿いには多くの墓が建てられた。それは生者が多く行き交う街道沿いに眠りたいという考えによるものと、街での感染病を避けるためである。アッピア街道もまた、街道沿いに壮大な墓が立ち並んでいた。これらの墓は、各種各様のデザインを競った造りであり、墓碑に刻まれた文章も多種多様であった。たとえば、「おお、そこを通り過ぎていくあなた、ここに来て一休みしていかないか。頭を横に振っている。なに、休みたくない?と言ったって、いずれはあなたもここに入る身ですよ」「幸運の女神は、全ての人に全てを約束する。と言って、約束が守られた試しはない。だから、一日一日を生きることだ、1時間1時間を生きることだ。何事も永遠でない生者の世界では」「これを読む人に告ぐ。健康で人を愛して生きよ、あなたがここに入るまでの全ての日々を」(「ローマ人の物語」の旅より抜粋)
 上段左の写真は英雄のレリーフと呼ばれる墓。上段中はシクストゥス・ポンペイウス一族の墓。中段右はクリアーティ兄弟の墳丘。下段右はホラティウス兄弟の墳丘。
◆交通
 アッピア街道(地下鉄A線サンジョヴァンニ駅の北西、教会の裏、オベリスクのある広場から橙のバス(218番)でサン・カリストのカタコンベ下車)から、更に南に30分ぐらい下る。('99)

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●クインティリアヌスの別荘
◆説明
 もとはクインティリアヌスの所有であったが、コンモドゥスの陰謀によって処刑されコンモドゥスの所有になった。アッピア街道からは別荘に水を供給していた水道橋のアーチが見える。

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●クラウディウスの水道
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◆説明
 クラウディア水道の全長は68.7km、このうち、地上部分は15.1kmで、その約10kmはカンパニア平原を1000個以上の高いアーチで横断した。これらのアーチは切石を積んで構築され、その上におかれたクラウディア水道の導水管も切石積みで造られた。更にその上には、コンクリート製の新アニオ水道の導水管が置かれていた。
 エウル往きの地下鉄Aラインのポルタ・フルバやスブアウグスタから見ることができる。高いところでは、アーチは27.5mにも及ぶ。現在、これだけの状態で遺っているのはハドリアヌスによる修復・補強のおかげである。

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