◆◆◆ パラティウム ◆◆◆
r400.jpg ◆説明
 パラティウムはフォルム・ロマヌムの南に位置する切り立った丘である。その名は牧畜の守護神パレスに由来している。もとは北西のゲルマルス、南のパラティウム、北東のウェリアという3つの丘に分かれていた。
 この丘に建てられた最古の家の遺構は、鉄器時代初期に造られたものであり、伝説のロムルスの家があったとされる、まさにその場所に位置している。共和政時代には、ローマの政治や経済などに力を持つ貴族や有力な家柄の人々の住む高級住宅地となった。護民官グラックス兄弟の父、キケロ兄弟、弁護士ホルテンシウスもここの住人であった。そして、初代皇帝アウグストゥスがこの地に家を構えた後は、皇帝達の宮殿建設の場となった。

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●ネロの地下通廊
◆説明
 リウィアの家からティベリウス宮殿に、ネロにより建造された全長130mにも及ぶ半地下道が遺っている。ここはカリグラが殺された場所でもある。この地下道によってパラティウム丘上にある諸宮殿がすべて結びあわされたことであろう。

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●ティベリウス宮殿 (写真提供:松田さん)
r4021.jpg ◆説明
 ティベリウス着工、カリグラによって完成された。東側に建設されたドムス・トランシトリアとは地下通廊でつながれていた。 80年の大火の後には、ドミティアヌスによって修復されている。上階にはカピトリウムとフォルムを望む見晴らしの良い屋上庭園があったという。しかしながら現在、宮殿の多くの部分はファルネーゼ庭園の地下に埋もれている。わずかに、カピトリウムに面したところに、ドミティアヌス、ハドリアヌスによる三階建ての赤煉瓦建造物及びアーケードを見ることができる。また、宮殿の南壁には18の小部屋が並んでいる。壁に残る落書きから衛兵の詰め所であったと推定されている。

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●リウィアの家 (写真提供:しばっぺさん)
リウィアの家 リウィアの家
リウィアの家 リウィアの家
◆説明
 水道管上で発見された碑文の内容 【ユリア・アウ(グスタ)】 から、アウグストゥスの妻リウィアによって建てられたと考えられている。共和政末期の豪華な住居の典型であり、中庭に接した3つの部屋及びトリクリニウム(食堂)の壁画が有名。3つの部屋のうち中央に位置するタブリヌム(迎賓室)の右側及び突き当たりの壁に描かれている壁画は、第二段階様式後期(建築区間を立体的に描いた一種のだまし絵)に属すものである。それぞれ、コリント様式の柱によって間仕切りされた空間に、神話の情景が描かれている。右側の壁画はユピテルの恋人イオを監視する百目の巨人アルゴスと、イオを連れ戻すようユピテルにつかわされたメルクリウス(ヘルメス)の三者の場面、突き当たりの壁画には、海馬に乗って一つ眼の巨人ポリュフェモスから逃げる海の妖精ガラテイアが描かれている。
 また、左側の部屋にはキュピッドやグリフィンが、右側の部屋の左壁面には豪華な花綱の掛けられた柱廊が描かれている。この花綱には、平和と豊穣を象徴する林檎・スモモ・葡萄の果実がついている。更に壁面の上段には黄色のフリーズがあり、そこには田園風景が描かれている。これらの部屋から少し離れたところにあるトリクリニウムの壁にも、女神ディアナに捧げられた森の田園風景が描かれている。

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●アウグストゥスの家
◆説明
 弁護人ホルテンシウスからオクタウィアヌスが購入し、拡張改造した家。アウグストゥスの尊称を送られたとき、家の玄関の両脇に建つ側柱は月桂樹で飾られ、扉の上には「市民冠」が置かれたという。家は小部屋の並ぶ私生活の空間と大きな応接室のある公的な空間とにわかれていたと思われる。歴史家スエトニウスによると、アウグストゥスはこの慎ましやかな家に40年以上も質素に暮らし、黙々と仕事をしていたという。現在、演劇の仮面が描かれた壁画が遺っている。

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●アポロ・パラティヌス神殿
◆説明
 アウグストゥスは、前36年のナウロコスの勝利を記念して神殿とこれに付随して国立図書館の建設を誓約した。しかしながら、前28年の奉献式の時にはアクティウムの勝利のためと変更された。それほどアクティウムの勝利には重要な意味があったのだ。神殿はアウグストゥスの家と直結されており、ルーニ産の白大理石でつくられ、古黄大理石(ジアッロ・アンティーコ)の列柱廊で囲まれていた。また、アルゴスの王ダナオスの娘たち50人と、その婿となったエジプト王の息子たちの像、計100体が柱廊を飾っていた。現在、 44×24mの基壇、前廊の柱が1本と図書館跡を見ることができる。

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●キュベレ神殿
◆説明
 前204年、小アジアのペシヌスから大地母神キュベレのご神体として尖った黒い石がもたらされ、神殿が建造された。その後、前111年及び3年に修復・再建されている。神殿の前にある空き地では、キュベレの祭礼が催されたと伝えられている。キュベレは両性具有の怪物が去勢された女神であり、その密儀は、信者が自分たちの身体をむち打ったり、刃物で傷つけたりするもので、貴族だけに信仰が許されていた。 現在、神殿の基壇の一部と柱の断片を見ることができる。

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●ウィクトリアの神殿
◆説明
 前294年、メゲルスによって、勝利の女神ウィクトリアに捧げられた神殿。

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●ドムス・フラウィア
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◆説明
 64年の大火で焼失したパラティウムに、ドミティアヌスは建築家ラビリウスの計画により、丘を覆い尽くすような壮麗な宮殿を建造した。宮殿は3つの部分からなっていたが、その西側の公邸部分がドムス・フラウィアである。
 中央には、迷宮ラビリントスを模した 8角形のインプルウィウム(雨水池)をもつペリスティリウム(列柱回廊式中庭)の跡がある。その壁には、鏡のように磨かれたカッパドキア産大理石が張られていた。星占いで暗殺されることを予言されていたドミティアヌスは、肩越しに映る人影の動きに注意しながらここを散歩していたという。
 中庭の北側には、バシリカ、アウラ・レジア(皇帝の広間)、ララリウム(皇帝の祖先神ラレスを祀る礼拝堂又は警備室の説あり)があり、シポリン(雲母縞大理石)の列柱廊で囲われ、床や壁などには色大理石がふんだんに張られていた。
 一方、南側にはユピテルのトリクリニウム(宴会場)があった。多色使いの大理石床は床暖房システムをもち、アプシス部分は皇帝と他の会食者を隔てるために一段高くなっている。また、西の窓からは楕円の噴水をもつニンフェウム(泉水堂)が見渡せた。

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●ドムス・トランシトリア
◆説明
 帝政期、ローマ人の生活に欠かせない自然はパラティウムにはもはやなく、自然に親しみたいときは、マエケナスやロリアヌスの庭園に出かけた。ネロはこの間を、気楽な姿で気安く足を向けることができるように1kmを越す通廊宮殿を造った。おそらくこの宮殿ができあがってほどない64年に、大火で焼失した。現在宮殿の一部はリウィアの浴室と称され、ドムス・フラウィアのニンフェウムの下に見ることができる。

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●アウラ・イシアカ
◆説明
 ドムス・フラウィアのバシリカの下には、エジプトの女神イシスを奉るイシスの間(アウラ・イシアカ)がある。ここで発見された壁画には、祭壇、聖なる森、様々な人物、ギリシア神話の場面などが描かれていた。現在、壁画はドムス・アウグスターナのサーラ・マッテイに移されている。

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●グリフォンの家
◆説明
 ドムス・フラウィアのララリウムの下に、前2世紀頃の共和政期の邸宅が遺っている。壁には2頭のグリフォン(ギリシアの伝説上の怪獣)が描かれている。

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●ドムス・アウグスターナ
◆説明
 パラティウムの宮殿のうち、中央に位置する私邸部分がドムス・アウグスターナである。15年の歳月の後、ようやく宮殿を完成させた年に、ドミティアヌスは暗殺されてしまう。市民の中の第一人者が住む場所としては余りにも壮大な宮殿に、ネルウァは市民の反感をかわないよう、「ウィラ・プブリカ」(公共の別荘)と刻んだ石板をかかげさせ、表門はいつも開いたままにさせた。
宮殿は、上層のペリスティリウムと下層のペリスティリウムの2つに分かれ、下層のペリスティリウムは上層のものよりも12mも低く、大小様々の部屋が上下のペリスティリウムの周囲にあった。上層のペリスティリウムには大きな泉があり、その中央には四角の神殿の跡があるが、いかなる神に捧げられたのか不明である。下層のペリスティリウムには、アマゾン族の小さな半月型の盾(ペルタ)を対置させたデザインの噴水がある。周囲から中央に水が集まるようになっていた。2層の回廊に囲まれ、西側の部屋はニンフェウムであった。南側はキルクス・マクシムス(大競技場)に面して大きく弓なりに凹んだテラスが設けられていた。

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●スタディウム (写真提供:松田さん)
r413.gif r4132.jpg ◆説明
 パラティウムの宮殿のうち、東側に位置する部分がスタディウム(競技場)である。皇帝及びその一族や宮廷に奉仕する人々の娯楽のために設けられたものだと考えられている。全長145m、下は角柱、上は円柱による2層の列柱廊に囲まれ、 東側中央にはプルウィナール(皇帝観覧席)、北側には更衣室や運動具室が設けられた。一方、競技場内の楕円形の囲いは、ゴート族のテオドリック王が付け加えたものである。

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●ロムルスの城塞跡
◆説明
 

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●セウェルスの宮殿
◆説明
 セプティミウス・セウェルスの命で、ドムス・アウグスターナの南東に残っていた丘の斜面の空き地に対して、高さ20mに及ぶアーケードが造られ、宮殿が拡張された。宮殿には皇帝一族用の浴場やテラスが設けられた。このテラスにより、皇帝達はキルクス・マクシムスでの競技を直接観戦できるようになった。

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●マクセンティウスの浴場
◆説明
 セウェルスの浴場の南西側に造られた。

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●ペダゴギウム
◆説明
 パラティウムの南面に造られた。おそらく宮廷に奉仕する使用人に関係のある建物(教育施設、養育場:ペダゴギウム)であったのであろう。 。

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●スコーラ・プラエコヌム
◆説明
 パラティウムの南面に造られた伝令の詰所。

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●クラウディウスの水道橋 (写真提供:しばっぺさん)
クラウディウスの水道橋 ◆説明
 パラティヌスの丘への給水のため、セウェルスにより造られたクラウディア水道の水道橋。全長425m以上、高さ42mの4層のアーチからなった。それまでは、ドミティアヌスがカエリウスの丘から敷設した径約300mmの太い鉛管を用いたサイフォンによっていた。現在サン・グレゴリオ通りからパラティヌスの丘に向かって5個のアーチが遺っているが、かつてあった4層のアーチの下の2層にあたる。

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