トラヤヌス帝治世下の紀元1世紀後半〜2世紀前半に建造された。全長728m、高さ28.5m(アソゲホ広場付近)、167個の2層アーチからなる水道橋には、セメント・金具は一切使わず、花崗岩を積み重ねただけであるというから、ローマ人の土木技術には驚かされる。5世紀、西ローマ帝国を滅亡に導いたゲルマン民族のゴート族とバンダル族も、ローマ人の築いた、暮らしを支えてくれるこの壮大な水道は破壊しなかった。
かつて、フエンフリア山脈を源とする水を運んだ水道橋は、現在も時々水を流しているらしい(地元の人から聞いた話 Mar.'98)。
▼Kenjiの訪問記▼
駅からの幹線をそれると、水道橋が見えた。近づくに従い、その高さに圧倒される。そしてこのか細い石組みは(上1段左)、この状態を2000年もの間保っていたことを疑わせてやまない。
水道橋の南東側は坂道になっており、水道橋に沿って歩くことができる。坂を上るに連れ、水道橋の橋脚は短くなり、異なった顔を見せ、楽しませてくれる。そして坂を上り切ったところで水道橋は45°ぐらいの角度で折れ曲がる。こういった箇所の水圧にも耐えられることができるんだなと感心する。ここから先は背の低い水道橋が続く(下段右)。
更に先に行くと、水道橋の橋脚はなくなり、導水路となる。その中間に建物を発見(上段右)。好奇心旺盛に階段を上っていくと、扉があり、鍵が閉まっていた。中を覗き込んでみると深い槽が見えた(中段左)。水路が途中で切れ、槽を横切り、再び水路となっている。おそらくここでゴミなどが沈殿して、水が浄化されていたのではないのかと思う(情報不足)。また、水の流れを弱める働きも兼ねているかもしれない。
この辺りから、地面と導水路の高さの差は小さくなり、胸ぐらいの高さとなる。そこで、導水路に上ってみた。導水路には溝があったが(中段右)、ここに水が流れていたのだろうか・・・?
そこから先は、マイル円柱のような柱が建っており(下段左)、導水路は途切れた。高さを考えると、ここから先は地中を通っていたのだろう。これ以上は何もないだろうと判断し、引き返すことにした。
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